ホーチミンは人手不足なのかもしれない
コロナ禍で生まれた仕事だが担い手不足となった監視係?
かつて日本の人手不足を補うために続々とベトナム人たちが出稼ぎに行っていたのは過去の話。
今はベトナム国内で担い手が見つからず人手不足が起こっているのかもしれないという話です。
<封鎖エリアだらけ>
自分自身、つい先日まで居住エリアが封鎖されていました。
ホーチミンが厳戒ロックダウンに入ったのが2021年7月9日で、自分らの居住エリアが封鎖されたのは4日後の7月13日ということは、わりかし早期または中期の前半頃だったのだと思います。
きちんと封鎖され、大通りに出るための3か所の出口には見張り役が常備されていました。
監視員は一人の場合もありましたが複数名いる時もあります。
彼ら・彼女らは私服なので、警察関係者なのか民間のアルバイトなのかわかりません。
民間アルバイトだと思ったのは、学生アルバイトっぽい若い女性2人組がいたこと。
警察関係者なのかもしれないと思ったのは、最初の頃、エリア内は自由に動き回っていいのだと思って散歩していたのですが、若い男性監視員に叱られたこと。
怒鳴られたというレベルではないのですが、割としっかり追い回されて怒られました。
(あれが民間人だとしたら「おまえにそんな権限はあるのか」と言いたくなったかもしれません。)
約3週間、我々はしっかり隔離封鎖されました。
(※初夜に脱走した日本人はいましたが・・・)
その後、「居住エリア」の封鎖は解除されものの、うちのアパートだけは封鎖がその後1週間以上続きました。
その間、ニュースを見るとどんどんとホーチミン市内およびベトナム国内の新規感染者数は増えていき、
今はホーチミン市内だけで1日に2千人台、3千人台です。
封鎖エリア内での見つかることが多いようですが、
全体数の1~2割は感染経路不明の封鎖エリア外市中感染者が見つかっています。
ここ最近は百人以上が封鎖エリア外で見つかっているということは、
毎日100か所超のエリアが封鎖されることになります。
楽しくない竜宮城生活(=隔離封鎖生活)を終えて、街中に出て驚いたのは街中に規制テープが張り巡らされていることでした。
規制テープは貼ってあるが監視員はいない。そして、出入りしている人らをしばしば見かける。
1か月間閉じ込められていて、その間に激動の変化が起きていたので、状況が理解できません。
封鎖されているのであろう規制テープはあるのですが、監視員はおらず、別のルートから出入りできたり、テープの隙間をくぐって出てくる人も見かけました。
一体、世の中はどうなっているのだ!?
と衝撃を受けました。
<人手不足?>
初日の衝撃から数日経ち、まだ釈放されてから日が浅いのですが、銀行に行かねばならず、その銀行は歩くとそこそこ距離がある場所なのですが、移動手段はそれしかなく歩くことはもともと好きなので周囲の状況の偵察も兼ねて行くことにしました。
(ちなみに外出禁止令が出ているのは知っており、アパートの大家さんに「許可書はどうすればもらえますか?」と尋ねたところ、「銀行なら大丈夫。警察に捕まったら私に電話して」という軽い返事で疑わしかったのですが、モメたくないので許可書なしで挑むことになりました。※結果、無事でした)
銀行まで片道5km弱の移動だったのですが、街中のあちこちが封されており、(なるべく近づかないようにしていましたが)検問所もいくつかあります。
検問所はおなじみの緑色の制服を着た警官(公安?)が何にもいて物々しい感じなのですが、封鎖エリアと思しき出入り口で監視員を見かけることがありませんでした。
あれは封鎖エリアではなかったのか?
それとも、監視員制度をやめたのか???
<見張り役は不人気職?>
監視員の給料がいくらなのかわかりません。
(公務員だったら命令で就かされるのでしょうし。)
仕事はラクか、大変かでいうと、
厄介な住人が封鎖エリア内にいなければ何もやることがないのでヒマいう苦痛に耐えること、
日照りや雨・風に耐えること、
コロナ感染の近い場所にいること、といったデメリットがあります。
現在、失業者がたくさんいるので「仕事がないよりはマシ」だと引き受けるベトナム人(※おそらく外国人は就けない)はいるかと思うのですが、ホーチミンに残っているワーカー層が少ないのだと思います。
ほとんどが、それぞれの田舎に帰ってしまいました。
私が連絡を取れる者に限定すると100%です。
封鎖エリアが増えすぎて正規公務員だけで担うには人手が足らない。(※一定以上の役職はやりたがらない)
アルバイトを雇おうにも求人に集まらない。
もしかしたら、封鎖エリアが増えすぎてアルバイト代が膨れ上がってきたから財政難・・・。
そういった事情で監視員がいないのかもしれません。
※あくまでも独断と偏見による憶測です。